「ケーキだよーっ、ってミサカはミサカは掲げてみたりっ」
目の前に現れた箱を見ても、一方通行はうんともすんとも言わなかった。
彼はソファに体を沈めたまま、目を細めあやしげにそれを見つめている。
あまりにも反応が返ってこないのでもう一度同じセリフを繰り返してみたが、結果は同じだった。
そこまでして、ようやく箱の向こう側から少女の顔が現れる。
むっと頬を膨らませた彼女は、自分の顔よりも大きな箱を両手に持ち、それをずいと一方通行に差し出す。
「け!え!き!ってミサカはミサカは繰り返してみる!」
「うっせェな聞こえてンだよ!」
「だってあなた何も言わないんだもん、ってミサカはミサカは不満を漏らしてみる」
いかにも、という風に赤と緑と金とで装飾された白い箱をテーブルの上に置いてから、打ち止めはキッチンへと姿を消した。
間も無く戻ってきたその手には、今度は2組のケーキ皿とフォークが握られている。
そもそも冒頭のセリフからして、その先に待ち侘びているものを理解していた一方通行の顔はいよいよ「嫌だ」と物語り始めた。
「一緒に食べ」
「一人で食ってろ」


自身の意思の弱さに嘆く事なんて、人間ならば誰しもある事だ。
例えばしつこく誘われたら、例えば甘えた声でお願いされたら、例えばさみしげに見つめられたら。
そんなものは誰だって折れるに決まっている。

だから彼がしかめっ面で二人分のケーキを取り分ける事になったって、なんら不思議では無いのだ。

世間はいわゆるクリスマス・イブというやつだった。
ここ数日、街中で流れるクリスマスソングを聞いても特になんの感慨も沸かなかった少年だが、一緒に歩いていた少女はそうでは無かったらしい。
今、二人の前には少女の買ってきた有名店のケーキがどんとテーブルを陣取っている。
たっぷりの生クリームに、粒の揃った赤いいちご、チョコレートで作られたMerry Christmasのメッセージに、散らされた金箔。
まさにこの日の為に作られたケーキに、買ってきた張本人である打ち止めの瞳は宝石を見るみたいにキラキラとしていた。
一方通行がキッチンから持ってきたナイフを入れると、打ち止めの歓声があがる。
「ぜってェ余ンだろ、コレ…」
4、5人で分けても余りそうなホールケーキを前にして、一方通行は既に胸焼けしそうだった。
どうせならもっと小さいのにしろと言いたかったが、それは心の中に留めておく事にする。
今頃そんな事を言ったって小さくなる訳では無いし、何より少女のはしゃぎっぷりを前にそれを言うのは躊躇われたのだ。
そうしてそれぞれの皿に分けられたケーキを、二人は同時に口に運ぶ。
「おいしいっ!ってミサカはミサカはほっぺを抑えてみる」
次々と口の中に運んでいく打ち止めの隣で、一方通行は缶コーヒーを傾けた。

意識なんてした事のなかったそのイベントを、彼は生まれて初めて思考する。
本来の目的を忘れただ騒ぐだけの行事に乗っかる気は無いし、そもそも自身がそんなものと関わりを持つなど考えた事も無かった。
それでも幸せそうにケーキを頬張っている少女を見ると、どうにも心臓のあたりがぼんやりと浮いたような感覚を覚えてしまう。
(クリスマス、ねェ…)
ふと、一方通行は横目で打ち止めを見た。
小さな口にめいっぱい放り込んだスポンジを美味しそうに味わっている彼女の頬に、白い生クリームがついているのを見つける。
「……、オイ」
「むぅ?」
フォークを口に入れたままに打ち止めは振り向いた。
細い指が頬に触れたのを感じる。あたたかな部屋に反比例して、一方通行の指先は冷たい。
「な、なにかな?ってミカサはミサカは聞いてみる」
打ち止めは恐る恐る尋ねた。触れたままの指先は動く気配が無い。
目と目が合う。彼女の心臓が跳ね上がると同時に、一方通行が動いた。
触れるか触れないかの距離にあった二人の体は、数センチ近寄っただけで簡単にくっつく。
打ち止めが目を見開くと、直後に生暖かな感触が頬を這った。
「あ…っ」
つい今まで一方通行の唇が、舌が触れていた箇所を、彼女は自身の手で覆う。
はっきりと感触の残っているそこに触れて、少女は一気に沸騰する。
「きゅっ、急に何するの!?ってミサカはミサカは慌ててみる…!」
どうとでもないと言いたげに真顔で肩を竦める一方通行の態度に、打ち止めは益々顔を赤くした。
「どうやって食えばそんな大量にクリームを付けれンだよ」
「えっ、えっ、ってミサカはミサカはまたまた近づいて来たあなたに混乱してみたり…っ」
少女の戸惑いが消えるどころか増す中、一方通行は再び打ち止めの頬に触れた。
顎を軽く持ち上げれば、打ち止めはぎゅうと目を瞑る。
小刻みに震える長い睫が、少女の精一杯の"らしい雰囲気"を作り上げようとしているが、
彼女の唇の端にはやっぱり生クリームがついていて、緊張感を一気に緩めてしまう。
「マヌケ面」
唇を寄せ、一方通行は囁いた。



打ち止めはフォークを手にしたまま、皿の上に3分の1残っているケーキを見つめている。
やたらと真剣に見つめているので、(既に食べる事を放棄した)一方通行は首を傾げた。
「何してンだァ?さっさと食っちまえ」
ついでに自分の残した分も指差しながら、一方通行は打ち止めに問いかける。
ところが数秒経っても応答が無い。彼はどうしたのかと隣の少女を覗き込もうとした、が。
「先手必勝!ってミサカはミサカは突撃ぃっ!!」
「っ!?」
ずっと俯いていた打ち止めが、ガバリと音がしそうな勢いで動き出す。
顎と頭とがぶつかり合う寸前で一方通行が仰け反り、二人の衝突は回避される。
だが、彼の背中がソファの背もたれにぶつかりこれ以上行き場が無くなっても、打ち止めの勢いは弱まらない。
「テメ…っ」
危ねェだろ!と彼は叫ぼうとするが、直後に感じた不可思議な感触に、そのセリフは音とならずに消えた。
不審な目で見れば、目の前の打ち止めは悪戯っ子のようにニマニマと笑っている。
彼女の指先にべっとりとついている物が、不可思議な感触の正体だと気付くのに時間はかからなかった。
「……何遊ンでやがる」
打ち止めの行動が全く理解出来ない一方通行は、彼女が自身の頬につけた生クリームを拭おうとティッシュボックスに腕を伸ばす。
「あっ!ダメだよダメ、ってミサカはミサカはストップしてみる」
打ち止めは慌てて一方通行の腕を取ると、心底楽しそうに唇を三日月の形にした。

そして。彼が何かを言おうと口を開く前に、少女は彼に唇を寄せる。

マシュマロの唇が、少年の白く皮膚の薄い頬に隙間無くくっつく。
「……っ」
熱く生々しい感触に、一方通行は先の打ち止めと同じように目を見開いた。
「お返しなんだから、ってミサカはミサカは更にあなたに生クリームのトッピングをしてみる」
「あのな」
反論すら許されず、唇の真ん中に塗られたクリームを打ち止めの小さな舌が舐め取る。
くすぐったい感覚に一方通行は一瞬眉を顰めたが、彼は打ち止めの腰に手を当てると、その体をぐっと引き寄せた。
「んっ!」
唇を押し当てたまま、打ち止めはくぐもった声を出した。
彼女は驚き思わず離れようとするが、今度は頭を押さえつけられる。

クリームはもうとっくに無くなってしまっているというのに、いつまでたっても甘さが消えない。
それどころか、増してすらいるように感じられて。
「テメェが俺に勝てると思うなよ」

























2010/12/25
inserted by FC2 system