暦の上ではもう春とは言え、寒さは去っていく気配が無い。まだ陽の昇らない時間帯は春など微塵も感じさせない。
兎に角、未だ冬としか思えない刺すような氷の寒さの中で、一方通行は着ているコートの首襟を顎まで引き上げた。
途端に鉄のにおいが鼻の奥をつく。すっかり指に染み込んでしまった。
「クソッたれ……」
誰にでもない、彼が彼自身に投げかけた言葉だった。
他人の血のにおい。殺してはいない。だが、自分が手を下さずとも仕事をしくじった彼らは結局処分されるのだろう。
いちいちそんな事に構ってはいられないが、今日に限ってはそんなくだらない思考をしてしまう。
一方通行はもう一度同じ台詞を繰り返し、つま先でコンクリートを蹴った。
脳裏に浮かぶのは。


なんとなく、真っ直ぐ帰るのは気が引けてしまう。あの少女が眠っているであろう部屋に、このまま戻るのは。
今歩いている道を直進で5分も歩けば、マンションに到着する。
一方通行は歩くペースを落とし、そして思いついたように道を曲がった。視界に入っていたマンションの姿が、高層ビルの壁に遮られ見えなくなる。
街が暗闇に包まれている中、人工的な眩しさを放っているコンビニに彼は向かう。
まるで言い訳を探してるみたいだ、と一方通行は苦い顔をした。
滅多に使わない携帯メールを、一言だけ入れてはいたのだ。しかしそれが届く頃には、彼女は夢の中だったろう。

大体。
こちらは一度だって頷いてはいないのだ。
無理やり小指を繋がされて、無理やり取り付けられた約束だった。
だけど、それでも。
(……拗ねンだろォな)
強制的な約束を守るつもりなど毛頭無かった、と言えばそれは嘘になる。どうでも良いと吐き捨てる事などもう出来ない。
指を繋いだ時の笑顔を見て、守ってやりたいと、そう思っていたはずだ。
それがどうだ。今の自身は、彼女が一番悲しむであろう仕事をこなし、あまつそのせいで約束を破っている始末。
「クソったれ」


他に客のいる様子は無い。
うるさいくらいのBGMが流れる店内を、一方通行はドリンクコーナーへと進んだ。
一昨日から飲み始めた缶コーヒーを何時も通りカゴの中に詰め込んで精算をしようとした所で、何かに気付く。
彼はカゴの中に視線をやり、足の向きを変えると、菓子製品の並ぶ商品棚の前で立ち止まる。
言い訳の次は機嫌取りか、と思わず鼻で笑ってしまいそうだった。
「……ありすぎだろ」
しかし棚を一通り眺めても、どれを選べばいいのかさっぱり分からない。
普段何を食べていたのかを思い出す。とりあえずは辛くなくて、……手が汚れないものだ。
最低条件を決めて、あとは考えても分からないので適当にいくつか掴みカゴに放り投げると、ようやくレジへと向かった。

ビニール袋がガサガサと音を立て手首に擦りつく。
コートのポケットに片手を忍び込ませ、一方通行は店を出た。今度こそ帰らなければならない。
「あ?」
コンビニに入る前よりも歩調を速めた白い少年は、しかしすぐに歩みを止める事になる。

出入り口の側で座り込んでいる、いる訳が無い、いてはいけない少女がそこにいた。

うつむいていた少女は、人の気配にパッと顔を上げた。眠たげな瞼が嬉しそうに見開かれ、勢い良く立ち上がる。
「おかえりなさい!ってミサカはミサカはやっと帰って来たあなたにお疲れ様と言ってみる」
一方通行は、しばし呆然と少女、今は夢の中にいるはずの打ち止めを見つめた。これは何か幻覚だろうか?
「……」
もしくは打ち止めの姿に成り済ました、仕事相手の罠か。
他人の姿を乗っ取る人物なら身近にだっている……手法は多少エグいが。そう考えるのはずっと現実的だ。
「あれ、ねぇ聞いてるの?ってミサカはミサカはだんまりなあなたにおーいって手を振ってみる」
大きく腕を振る打ち止めの手首を、一方通行は勢い良く掴む。
罠だのと一瞬でも考えてしまったのが馬鹿らしい程に、本物だった。
感じる空気も、透き通る声も、手のひらに感じる体温も、本物だった。
「オマエ、何してンだ」
「だってあなたがメールをくれたんだよ、ってミサカはミサカは携帯画面を見せてみる」
ずい、と、打ち止めは背伸びして小さな携帯電話の画面を一方通行に見せた。
そこにあるのは見覚えのあるたった一文。なんせ、数十分前に一方通行が彼女に送ったメッセージだ。
「馬鹿じゃねェのか!?」
早朝だという事も忘れ、一方通行は怒鳴る。
「ガキがこンな時間に一人で出歩いてンじゃねェよクソガキ!」
「ええっ、二度もガキって言った、ってミサカはミサカは……うん、ごめんなさい」
一方通行のコートの端を摘み、打ち止めは謝罪する。
少女は気まずそうに眉を下げ、自身の足元に視線を向けた。小さな手に力が篭ったのか、コートに皺が寄る。
一方通行がそれに気付いたのと同時に、打ち止めはゆっくり彼を見上げ口を動かし始めた。
「あのね、きっとここに寄るだろうなって思ったの」
「あァ?」
「あなたがちゃんとミサカの所に帰ってきてくれるならそれで大丈夫なんだよ、ってミサカはミサカは告げてみる」

だからって出歩いて良い理由にはならない、と怒りたかった。
腹が立って、怒鳴りたくて、でも矛盾しているのだ――嬉しさを感じている、自分がいる。

胸の内のもやもやとしたものを消し去ろうと、一方通行は大きく息を吐き出す。
打ち止めはそろりと一方通行に身を寄せた。コートに顔をうずめて、少女はくぐもった声で二度目の謝罪をする。
「……クソガキ」
だから結局、出てくるのはそんな言葉だけだ。
一方通行は打ち止めの頭のてっぺんに一度手を置いて、そして僅かに屈む。彼女を抱きしめる為に。
仕事なんかよりもずっとやっかいで甘ったるい罠に引っかかってしまったものだ。
背中に腕をまわしてきた打ち止めが微笑んでいるのに気付いてしまい、それが気に食わず、わざと痛いくらいに力を込めた。

「あなたに渡したいものがあるんだよ、ってミサカはミサカは早く帰ろうと催促してみたり」
「そりゃ奇遇だな」
期待の出来ないお手製を思い浮かべ、ビニール袋の中のチョコレート菓子の存在を思い出して、一方通行は帰る場所に歩き出す。
ポケットにしまいこんでいた手は、今はあたたかな体温を包み込んで。

























2011/02/14
ツイッターの通行止めバレンタイン企画に参加しました!
【「早朝のコンビニ」で登場人物が「抱きしめる」、「罠」という単語を使ったお話を考えて下さい】
同じお題でも人によって全然違う!という美味しい思いも出来ましたごちそうさまでした。


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