「すき」
たった二文字で表せる安易で安直な言葉。
無視すれば問題無く過ごせるはずのものなのに、脳と心臓にはそれが重く圧し掛かってきた。
ソファに深く腰掛けた姿勢のまま、一方通行は正面から少し上あたりを見上げる。
視線をそらしてしまいたいのに、何故かそれが出来なかった。
「……、」
ふざけンなガキ。寝ぼけてンのか。さっさと寝ろ。
悪態はいくらだってつける。次々と頭の中に浮かんでは消える受け流しの言葉。
だけどそれを口にしてはいけないと、彼の核心はすぐに気がついた。目の前の少女は、それほどに真剣だった。
恥ずかしさに震えるでも、焦っているでも、まして泣きそうになっている訳でもない。
少女は真っ直ぐと痛い程に白い少年を捕らえている。
一方通行はただ呆然として目を見開いた。赤い瞳は驚愕を隠し切れていない。
言われた言葉を理解する為に脳内で再生しようとする前に、少女はそれを遮るように唇を開く。
そしてゆっくりと、もう一度繰り返すのだ。彼の脳に、浸み込ませる様に。


それに気がついたのは、いつだっただろうか。
なんせ持った事のない感情で、そんなものは自分にはありえないものだったはずだ。そう、以前までは。
彼女と出会い、過ごし、それは一方通行に知らなかった感情をいくつも与えてくれた。
決してこの手に収まる予定の無かった多くのものを彼に与えたのは、紛れも無く一人の人間だ。
心が温まるというのはこういう事なのだろうと、幾度も感じていた。
愛おしいという言葉の意味を、直に覚えた。
その感情の向いている方向が一体何なのか。
明確な答えを知る事は無くとも、打ち止めという少女が何よりも一方通行の中のほとんどを占めている事に変わりは無かった。

ようやくその答えに気付いた時、初めに感じたのは、ありえないという否定。
当たり前だ、そんなものを、自分が、どうして、なんで。
自身から尤も遠い所にあると思っていたものが、突然現れたのだから。
だけどその否定を、彼は否定する事になる。
違うと思えば思う程、欲する本心は顔を出そうと呻いていたのだ。

一方通行はどうしようもなく手放したくない少女に向ける感情の答えを認めて、受け入れて、それから閉じ込めた。
少女を慈しむ事に迷いは一切無いが、この欲を向けてしまえば、聖女を汚してしまいそうだった。
だから出会った時と"変わらない"感情だけを向け続ける。静かに、脆い宝物に触れるみたいに。

それなのに、守り抜いた少女はするりと侵入してしまう。
誰にも知られないように、音も立てずに丈夫な箱に鎖をかけて、絶対に外れない鍵までかけていたのに
まだ幼さの残る一人は、難なくその箱の中身を取り出してしまった。
二文字のパスワードが、透明で分厚い壁をボロボロと崩して行く。



「オマエ…頭おかしいンじゃねェの」
くすくすと笑う打ち止めの吐息が首筋にかかる。
抱きしめながら言う言葉じゃないと、一方通行は自嘲した。
崩れてしまった瞬間に抱き寄せていた柔らかな体は、優しい温もりに溢れている。
「ミサカは至って普通だよ、ってミサカはミサカは即答してみたり」
想う事は当然の事だと、打ち止めは一方通行を抱き返した。
きゅ、と優しい力が背中に加わったのを感じて、一方通行は静かに瞼を閉じる。
彼女はいつだってこうだ。
言葉ひとつ、笑顔ひとつ、存在ひとつで、一方通行をあっという間にあたたかな場所へ導き出す。
他の誰にも壊せない壁を、唯一その少女はだけはあっさりと打ち壊す。
それはむず痒くて、似合わなくて、馬鹿げていて、最高に心地が良い。

もっと抱きしめて欲しいという愛しい少女の願いは、何の抵抗も無しに叶えられる。
あいのことばなんて甘ったるいものを吐き出す事の出来ない彼の、たくさんの想いがつまった抱擁。

崩れ落ちた破片を乗り越えて、そうして少年と少女は手を繋ぐ。

























2010/10/29
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