白く、白く、白く。少年の吐く息は、凍った外気に触れて彼に負けない白さを見せていた。
片手にコンビニの袋を提げ、もう片手は細身のパンツのポケットにしまい込む。
暖かくはないが、それでも直に晒すよりはずっとマシだ。
玄関をドアノブに手をかけた直後、少女が手袋を渡そうと走ってきたのを一蹴して家を出たのは間違いだったのかもしれない。
何やらこちらをじっと見てきたかと思うと、ずいと顔を寄せてきた。
近づいてくる打ち止めの手には、食べたいと喚くので缶コーヒーついでに購入したプリンの容器が握られている。
更に言えば、そのプリンをほっぺにつけている。どうすればそんな場所に付くのだろうか。
悲しいかなおかしな場所にあるクリーミーなプリンを見つけてしまった一方通行は、盛大に顔を引き攣らせた。
テーブルの上のティッシュボックスから適当に数枚取り出して、どちらかというと優しくない手つきで寄って来た少女の頬を拭く。
「あなた、うぐ…ちょ、ちょっともう少し優しくしてくれないかな、ってミサカはミサカは注文をわぷっ」
ゴシゴシと、頬どころか顔全体を覆うように拭われる為にうまく話す事も、息をする事も出来ない。
1ミリも無いその紙製の壁は苦しいものではないが、その微妙に熱のこもる感じが不快なのだ。
打ち止めは薄い壁を隔てくぐもった声を出し、完全にわざとだとしか思えない乱暴さで襲ってくる壁を操る手首を掴む。
すると、その手は意外にもすんなり少女の柔らかい肌から手を引いた。
が、それを不思議に思う暇もなく今度は言葉の攻撃が襲い掛かる。
「いい加減、まともに食えるよォになりやがれ」
「……」
打ち止めはバツの悪そうな顔をして、またしても気づかぬ内にやらかしてしまったらしい箇所をこする。
360度真っ当な意見である事はまだ幼い彼女にも理解は出来た。
だがしかし、自分に都合の悪い正論なんて、時には聞き流す事だって必要だ。
そうしてわざとらしい間をあけてから、打ち止めは自身の頬に触れたのと同じ指で、一方通行の顔の下部分を指す。
そもそも彼に近寄った目的を果たすために。
「ここ」
「あン?」
「切れてるよ、ってミサカはミサカはあなたの唇をつついてみる」
ほら、と打ち止めは部屋から持ち出してきたキャラクター型の手鏡を一方通行に差し出した。
確かめてみれば、面積が小さく実用性に欠ける鏡に映った唇の端が小さく切れている。冬の乾燥した空気にやられたのだろう。
「そうだ、ミサカのリップつける?ってミサカはミサカはポケットを探ってみる」
「いらねェよ、あのバカみてェに甘いやつだろ」
鏡を軽く放り投げるように打ち止めに渡しながら、一方通行は即答した。
血が出ている訳でも無いし、痛みだって無い。言われてようやく気づいたような傷とも言い難い傷だ。
自分のお気に入りのリップクリームを貸す気満々だったらしい打ち止めは、不満げな声を漏らす。
既に取り出された、やたらと派手なデザインのリップが少女の手の中で揺れているのは見ない振りをして、一方通行は自分の唇を舐めた。
僅かにカサつきを持っていた薄い皮膚が湿る。
「あーっ!舐めたら良くないんだから、ってミサカはミサカは注意してみたり」
「べっつに大した事ねンだから」
「それでもやっぱりリップをつけた方が良いと思う、ってミサカはミサカはぶっちゃけちょっと塗ってみたいって本心を吐露してみたり」
「人を遊び道具にしようとすンじゃねェ」
何だか瞳が面白いものを見つけたような色をしていたのはそのせいか、と一方通行は呆れ顔を返す。
食事もまともに出来ない人間が人の唇にうまくリップを塗れるとは到底思えない。
甘ったるい香りが口の周りにべったり付くのを想像しただけで気分が悪くなりそうだ。
「そんな事言わずに一度くらい…それに言う程甘くないんだよ?ってミサカはミサカは教えてみる」
ちゅ、と。
まるで小鳥が鳴いたような控えめな音を立てて、人工的に作られたと丸分かりのフルーツの香りが口内に入り込む。
これを甘くないと言うなら、彼女の言う"甘い"は一体どんな砂糖の塊の事を言うのだろう。
「ほら、ってミサカはミサカはちょっぴり恥ずかしかったり……」
「…甘ェっつの」
自分から仕掛けたと言うのに、打ち止めの顔は笑えるくらいに茹で上がっていた。
小さな両手を顔の前で精一杯仰いで熱を冷まそうとしているが、効果があるようには見えない。
一方通行はひらひらと泳ぐ打ち止めの手を取る。困ったように眉を下げた少女が、おずおずと口を開いた。
「…リップ、つけない?ってミサカはミサカは再確認してみる」
「いらねェ」
改めて口付けた部分は、やっぱり甘い。全くもって美味しくもなんとも無い。
なんでこんなものを好んでつけるのか、何度も何度も味わって、それでも一方通行には理解出来なかった。
抱き寄せた細く柔らかな体が足の間に入り込む。その背中を数度さすると、段々と力が抜けていく。
「オマエ」
「…なぁに…?」
とろんとした声と目をして、打ち止めは反応を示す。
彼女の前髪が目の前に垂れているのを見つけ、一方通行はその髪を指で避けた。
「味無いのつけろよ、マズイ」
「そ、それは女の子にかける言葉じゃないんじゃないかな!?ってミサカはミサカはあなたのデリカシーに突っ込まずにはいられなかったり!」
ハムスター顔負けに膨らませた頬を手で潰してやれば、風船のように空気が抜ける。
馬鹿にされていると気付いた打ち止めの表情は、益々しかめっ面に変化して行く。
拗ねたコドモに宥める言葉もかけず、一方通行はその後頭部を自身に寄せた。
隙間無く合わさる唇は徐々に人工的な甘みを薄れさせて行く。
彼にとっては、少女の持つ本来のそれのほうがよっぽど価値があると思えるものだ。
濡れた唇を軽く食む。ゆるゆると出来た隙間に忍び込めば、一層高い温度に触れる。
「んぁ」
生々しい感触がぶつかる。激しさは無く、ただただゆっくりと。
ぼやけた熱を分け合うような行為は、眠気にも近い心地良さを二人に与えていた。
軽く触れては、軽く絡み合う繰り返し。背筋を駆け上がるような感覚は無くとも、充分すぎるくらいだった。
くっついているのかいないのか、判断のつかない距離で交わされる言葉は熱を纏う。
数えるのも馬鹿馬鹿しい位に何度も口付けて、口付けられる。
「くち荒れちゃうよ、ってミサカはミサカは…でも止めたくないかなって」
「今更だろ」
少女の矛盾だらけの言葉と拙いキスを受け入れながら、少年は彼女を抱き締めた。
終わりの見えないとろけた世界に浸かるように、二人分の体重がソファに沈む。
2010/12/03