目を覚ましてみればいつも隣で寝ているはずの存在は既に無く、あるのは消えかけた温もりだけだった。
朝はまだ肌寒く、ベッドから抜け出すには少々の気合が必要だ。
寒さから逃れるように急いでハンガーにかけてある制服に袖を通し、スカートのプリーツを整える。
リビングの方向から物音が聞こえてきて、姿見で寝癖のついた髪を手ぐしで直してから、打ち止めは扉を開けた。

「おはよう、ってミサカはミサカは珍しく早起きさんなあなたに驚きつつ挨拶してみる」
声をかけた背中は、一目見ただけでもう気怠いオーラが漂っていた。振り向いた一方通行の顔は、やはり気怠さ満載である。
「……あー……オマエ、学校か……」
「平日だもん、あなたも?ってミサカはミサカは聞いてみる」
一方通行は無言で首を振った。意外な応えに打ち止めは目を丸くする。
週に数度大学に通う一方通行がこんな健康的な時間に起きているのは、午前から講義が入っている時ぐらいだ。
テレビ画面が示す時刻はAM7:00。予定も無いのに起きるなんて今日は雨が降るのかもしれないなぁ。
本人が聞けばチョップを食らわしてくるであろう事を考えていると、ふいにその人がこちらに寄ってきたので、打ち止めは思わず肩を揺らす。
「……オイ」
「なっ、何、ってミサカはミサカは聞いてみる」
ちょい、と一方通行の細い人差し指が打ち止めの体の中心部…よりも少し下を指した。
彼の指が描く線を辿って打ち止めは自身を見下ろす。特におかしな所が見当たらないので首を傾げていると、
「開いてンぞ」
「……、へ、」
「オマエの寝相が悪くて目ェ覚めたンだよ」
「えっ、あっ…え!?」
立て続けの、しかも二つ目は心を見透かされているような攻撃に、はじめポカンとしていた打ち止めの顔は瞬時に全体が赤く染まった。
反論しようと一旦は口を開けるが、目覚めた時、確かに枕がベッドの下に落ちていた事を思い出す。
結局は何も言葉が出てこず、彼女は慌てて水玉模様が顔を出すスカートのファスナーをしめるのだった。
慌てる年頃の少女の横を、マグカップを持った第一位が欠伸をしながら通り過ぎて行く。


「ねぇねぇ、おかしくないかな?ってミサカはミサカは確認を求めてみる」
ソファに座る一方通行の前で、準備を終えた打ち止めが背筋を伸ばして直立していた。
眠たげな目が、相変わらず頭の上に生えているアホ毛から、学校指定らしい靴下のつま先まで見回す。
最近になってやたらと外見を気にするようになってきた気がするのは、周りに同じ年頃の少女が多いからだろうか。
昨日も寝る直前までファッション雑誌をベッドの上で広げ、寝入りそうになっている一方通行の肩を何度も揺さぶっていたのだ。
睡眠の邪魔をされた彼は湯気の立つマグカップに口をつけて、一言だけ答える事にした。
「パンツ見せてりゃ台無しだな」
「もう直したでしょっ、ってミサカはミサカは意地悪って怒ってみたり!……開いてないもん」
ファスナー部分を不安げに触りながら、打ち止めは一方通行の横に腰を降ろした。
パンの焼ける香ばしいにおいがしてきて、彼女の意識は一気にそちらへ向かう訳だが、そういった部分がまだ、なんというか、抜けている。
先に用意されていた専用のマグカップの中身を覗いて考えるのは、今日はどのジャムをつけるかという事。
牛乳と砂糖1.5杯を入れた打ち止め用の甘いカフェオレを一方通行が淹れるのは、朝の時間が合う、しかも彼が先に起きた日だけの特権だ。
年間単位でも指で数えられる程度しか無いだろう貴重な朝に、打ち止めの頬は知らず緩む。
「眠ィ……、オイ、焼けたら勝手に食っとけ」
端にあるクッションを枕に、一方通行はソファの上で体を倒し顔の上に腕を置く。打ち止めが頷くのと、トースターの音が鳴るのは同時だった。
ブルーベリーのジャムと焼き立てのパンを手に戻ってくると、一方通行は彼女が座っていた部分もお構いなしに寝そべっているではないか。
細身とは言え、占領されてしまうともう一度座るのは困難だ。打ち止めは大人しくソファを背もたれにして、床の上に座りパンを齧った。
半分程食べ進んだところで、なんとなく振り返る。そこにあるのは、もうとっくに見慣れているのにいつだって飽きない寝顔だった。
「……寝ちゃったの?ってミサカはミサカは手を振ってみる」
反応は無く、テレビの音に掻き消されそうな程小さな寝息が聞こえてくるだけだ。じいと見つめていたって眉ひとつ動かさない。
思わず指でつついてみたくなるのを堪えつつ、打ち止めは残ったパンと温くなったカフェオレを胃の中に流しこんだ。

家を出る時間になっても、一方通行は目を覚まさない。
「ミサカ行ってくるね、ってミサカはミサカは声をかけてみたり」
打ち止めは屈みこんで一方通行の顔を覗き込んだ。
元より、眠っている人間相手に返事は期待しておらず、一応の挨拶をしてすぐに玄関へ向かうつもりだった、のだが。
ふと、目に止まったのは彼の体の一部分――薄い唇だ。

毎日のように一緒に寝て、時には甘えるみたいに抱擁をせがみ、手を握る事だってある。
それなのに、未だかつて触れたことの無い部分。
「……、」
(コーヒー……)
一方通行がいつも飲むブラックコーヒーを、一度だけ試しに飲んだ事がある。苦くて飲み込むのに苦労した。
カフェオレとは違い美味しいとは到底思えず、もう二度と口にしないと心に決めた。彼の唇は、苦いコーヒーの味がするのだろうか。
打ち止めの指が一方通行の唇に近づいていく。触れようとして、そして、口角よりも外側に辿りつく。
意外にも柔らかい頬をそっと、少しだけ押してみて、そして次に近づくのは。
「……っ…、い、行ってくるね、ってミサカはミサカは…さっきも言ったけどもう一回言ってみる……」
あと数センチの所まで近づいて、……また離れて。
テーブルの脚部分にかけていた学生鞄を攫うように掴み取って、打ち止めは早足でリビングを後にする。
体重の軽い足音を鳴り響かせて、自分の出した音に気付き焦ったように玄関の戸はそっと閉められた。
残されたのは、未だ瞼を閉じる白い第一位だけ。

「……意気地無ェな」

それは、誰に向かって投げた言葉?

























2011/03/29
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