暗闇にいた。
右も左も、上も下も分からない程暗いのに、自分の体は認識出来るのだ。

鉄のにおいがした。
とてもよく知っているものだ。これは、人の血のにおい。何度も何度も、嗅いだ事のあるにおい。

「……」
彼は自身の手を見つめ、息を飲む。五本の指先が染まっていた。
爪の中にも入り込んだ赤黒い血が、少年の白い肌にこびり着いている。
皮膚の奥まで染みこんでいく気がした。一体何が起こっているのか、思い当たる節は無い。
ならばどうして、俺はこのにおいを知っている。
訳も分からぬまま、ふと彼は自分の足元に何かがぼんやりと気付いた。
徐々に浮かび上がるシルエットに、背中が冷たくなっていく。何も知らないはずなのに、心臓が嫌に大きく脈打つ。
まだ履きなれていなさそうな真新しいローファー、有名中学のスカートから覗く細い太ももにべったりと見えたものは、指の血と同じ色だった。
それはどこからどうみても、人体だった。自分よりも少し年下に見える少女は、息をしていない。
それも、ひとつでは無かったのだ。
暗闇で、死体の姿はひとつ、ふたつ、みっつと広がっていく。ゆっくりだったそれは、急激にスピードを上げて、そして。

彼は見てしまった。自身の周りにある、何百何千の死体を。
(ひと、つ…?)
彼は気付いてしまった。死体を数える自分の脳は、彼女たちを「物」として数えている事に。

彼は知ってしまった。嗚呼、コレを全て殺したのは。

自覚した途端に、体中が高揚感に包まれる。
今まで思い出せなかった事が不思議なくらいに、脳裏に流れこんでくる記憶。
少女たちを殺す事で得てきた人体の壊し方。飛び散る血も肉の千切れる音も声にならない叫びも、全てを楽しんでいた。
「……ッく、ア、ハ」
可笑しくてたまらない。少年は思わず唇を大きく歪め腹を抱え込むようにして笑う。
そうだ。コレを全て殺したのは、俺じゃないか。

息のしていない屍達は、少年を見つめていた。光の灯らぬ目を開けたまま、真っ直ぐに。






「……っ」
一方通行は目を見開き、飛び跳ねるように上体を起こした。
酸素がうまく入ってこなく息苦しい。心臓の音が耳まで聞こえた。
彼は自分を落ち着かせるように胸に右手を当て、数度にわたりゆっくりと息を吸い込んだ。
全身に、気持ちの悪い汗がまとわりついている。着ているシャツの襟元を人差し指で引っ張り、気持ちばかりに空気を取り込む。

悪趣味にも程がある夢だった。悪夢と呼ぶに相応しい。
瞼を閉じれば、夢の中で見た映像はリアルに描かれた。血のにおいまで正確に。
それは目を覚ました直後だからという訳ではない。彼が起こした、紛れもない事実だからだ。
一方通行は5秒間だけ目を閉じた。やがて天井を仰ぎ、額に手の甲を当てる。
(……気持ち悪ィ……)
カラカラに乾いた喉は張り付き、痛いくらいだ。徐々に引いてきた汗も、肌に寒気を覚えさせた。
今から再度眠る気には到底なれず、一方通行はとりあえずはベッドから抜けだそうと軽く頭を振る。
彼はそこで、違和感を覚えた。生暖かい、というよりも、熱さを感じる。
「……あ?」
違和感の正体を探るのは容易だった。握られている手の先を辿っていけば、犯人はそこにいるのだから。

一方通行は、いつの間にやら潜り込んでいたらしい打ち止めの寝顔を見る。
眠っているはずなのに、左手を掴む彼女の手はやたらと力強く、順番に指を解いていかなければ動けなさそうだ。
だが、今の一方通行にそんな面倒な事をする気力は無い。
彼は早々に水を飲みシャワーを浴びるプランを諦めて体の力を抜き、壁にもたれる。
健やかに眠る打ち止めをよくよく見れば、頬に跡がついていた。涙の跡だ。
何か嫌な事でもあったのだろうか、と考えて、一方通行はすぐにそれは違うと自嘲する。
赤子のように強く握られた手。少女は、彼を心配し涙を流したのだろう。夢に魘され声も無く藻掻く少年を、見つけたのだ。
「オマエは」
一方通行は、今でも時折不思議でたまらなくなる。
どうして、こんな自分を選ぶのだ。幼い脳に植えつけられた当時の記憶がありながら、どうして微笑んでくれるのか。
いつかロシアの雪原で誰かに言われたように、澄んだ目が憎悪に満ちる時が来るのではないか。
馬鹿げた考えだと投げ捨てようとしても、完璧に抜け出す事は出来ない。―――失うのが、怖くてたまらない。

一方通行は、少女の額をそっと撫でた。ブラウンの柔らかな髪が、指にやさしく触れる。
何度も何度も彼を救ってきた少女は、きっとこの先も、何度も何度も救うのだろう。

「……、」
白い少年は小さく唇を動かして何かを告げると、そっと目を閉じた。
突き刺すように鼓膜に響いていた心臓の音は、今はもう聞こえない。

























2011/04/14
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