熱い。
子ども体温、で片付けるにしては少々疑問を感じる少女の熱さに、一方通行は怪訝そうに声をかけた。
「おい?」
体重を預けてくる肩を揺すり声をかけるが、反応は無い。次は先よりも少しばかり強めに。無反応。
垂れ下がる邪魔な前髪を指で避けて、俯き隠れた顔を覗き込む。小さな唇が薄く開き、呼吸しているのが見えた。
らしくなく寄せられた眉間の皺に、閉じた瞼の長い睫毛は震えている。
胸のあたりにスッと冷えた空気が通るのを感じ、気が付けば、白い彼は少女に与えられた唯一の呼び名を口にしていた。



「風邪ね」
のんびりとした調子で、ベッドサイドにしゃがみ込んでいた芳川が言った。
振り向きいた目が何やら含みを持つ色をしていて、一方通行はその視線から逃れるように彼女の向こう側を見る。
数日前に新しく買ってもらったと自慢されたベッドカバーが盛り上がり、静かに上下している。
「……病院は」
「明日ね。今日は様子を見ましょう、連絡は入れておくけど」
肩にかかる黒のストレートを耳にかけながら、芳川は眠る打ち止めの頬をそっと撫でる。その様子を見ながら、一方通行は音が聞こえない程度に舌打ちをした。
彼女は医者では無いが、その言葉には信頼性がある。なんせ"あの実験"に深く関わっていたのだ。打ち止めの身体については、ある一人の医者を除けば、他よりずっと詳しいだろう。
「なンだよ」
いつの間にか、こちらを向いていた芳川が困ったように両眉を下げ、口元に手を当てていた。こらえきれない笑いが指の隙間から漏れ出ている。
「心配しなくても大丈夫よ」
「はァ?」
「確かにこの子は特殊だけど、そこまで気に病む程じゃないわ」
何訳の分からない事を言ってやがる、とは言えなかった。
どうしようもなく焦る気持ちが隠しきれていない事は、自分自身でもよく分かっている。
息ひとつするにも苦しげで、ぐったりとする少女を見て、冷静でなどいられるはずがなかった。――こんな少女を見るのは、何度目だ。
取り乱して芳川の部屋にノックもせず飛び込んだ自分の姿は、思い出したくは無い。

先に部屋を出て行った芳川を見送り、それまで離れた場所で立ち尽くしていた一方通行はようやく打ち止めの元へ寄った。
肩まですっかりと布団に覆われて眠る彼女は、いくらかはマシになったという程度のもので、未だ苦しみから解放されていない。
たった一人の小さな少女のたった一つの変化に、いちいち脳が悲鳴をあげていては身が持たないだろう。
自分が傷付く事に何のためらいも無い学園都市第一位は、それほどまでにこの少女が傷付く事を恐れていた。
大丈夫。そう言った元研究者の言葉を信用していない訳ではなく、むしろ安心感さえ抱いていた。だが、それでも胸を締め付ける痛みは消えはしない。
(クソが、いつまでも引きずってンじゃねェよ)
苦い思いで頭を振って、一方通行はデスクのイスを引きずりベッドサイドに腰を下ろした。
打ち止めの額に貼り付けられた冷却シートは先ほど芳川が貼ったばかりのものだが、触れてみれば既に熱を持っている。
人の寝床に勝手に潜り込んできてはべったりとくっついて眠る、いつもの緩みきった寝顔には程遠い寝顔を見つめ、重たい息をはく。
換えのシートが冷蔵庫にあった事を思い出して、彼はイスの背もたれに手をかけ立ち上がろうとした。
すると小さな呻き声が聞こえてきて、咄嗟にベッドの上を確認する。半分ほど開いた瞼の奥に、熱に浮かされた瞳があった。
しばし真っ白な天井を見つめていた打ち止めは、やがてゆっくりと一方通行に視線を移し瞬きを繰り返した。
「……起きたかよ」
「う、ん…って、ミサカはミサカは返事をしてみる…」
喉から搾り出した自身の声が思ったよりも普通である事に内心胸を撫で下ろしながら、イスに座りなおす。
隙間から入り込んでくる空気が寒いのか、打ち止めは布団の端を握った。弱弱しい指は引き上げる力すら持たない。
再び脳裏に浮かぶ、中も外も全てを刺してくる冷たい列車の中の光景をかき消す様に、一方通行は少し乱暴に布団を掴み少女の顎まで覆う。
「む…もうちょっと、優しく扱って欲しいかも、ってミサカはミサカは注文を出してみる」
「…ハッ、ンな口聞けンなら問題無ェなァ」
皮肉めいたセリフは、誰よりも自分に言い聞かせていた。ただの風邪に悩みなど不要だ。クダラナイ思考など、さっさと切り替えてしまえ。

「今日は、一緒に寝れないね…って、ミサカはミサカは残念だねって同意を求めてみたり」
「オマエが勝手に入ってくるだけだろォがよ」
積極的に一緒に眠ろうとした記憶は、少なくとも第一位の正確な脳には詰まっていない。
「あなたは、さみしがりやさんだから」
「……あ?」
せっかく閉じてやった隙間を大きくあけて、打ち止めが腕を伸ばしてくる。
スローモーションのように近づいてきた腕を追いながら、一方通行は息を飲んだ。

「すぐに、元気になるから、…大丈夫、ってミサカはミサカはあなたに真実を伝えてみる…」

見開かれた赤い瞳に、病床につく少女の、微笑みきれない微笑が映り込む。今最も守られるべき打ち止めは、こんな時でさえ全てを見抜き救いの糸を垂らす。あの時と、同じように。
「……くだらねェ事言って無ェで、サッサと寝ろ」
彼女のこめかみから流れる汗を指で拭いながら、一方通行は静かに返した。出来うる限りの優しさで、茶色の髪を撫でる。
守りたいと願う自分が、小さな不安からすら守られている。無様な自身の精神をあざ笑いながら、それでも第一位の胸は温かかった。
明日か、明後日か、明々後日か。夜眠るときは、一人分のスペースを空けておいてやるのも有りかもしれない。























2011/05/11


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