雑草でも千切るような気分で、積み木でも崩すような気軽さで、のうのうと死を作り上げてきたバケモノが、今になり同じ言葉を前に恐怖している。
殺し続けてきた少女と同じ顔をした少女の、呼吸一つが脆い命綱だった。心臓を握り潰す苦しみが下された罰だと言うならば、これほど相応しいものはないだろう。
皮膚の下を通う血の熱さを必死に探して、ただひたすらに、奪う事しか知らない指先で救う許しを乞い続けている。



頬を撫でる風が痛みを伴い始めヒュウと耳元で鳴いては、体温を奪い通り過ぎていく。灰色をした空は重たく、足元が沈んでいくような感覚を覚えさせた。
ちらつく雪の粒に、終わりの無い白の世界が浮かぶ。歩く事すらままならず、凍てつく冬は方向感覚を狂わせた。
視界が冷酷な白に奪われていく。雪と同じ色をした少年は、逃げるように空を見る事をやめた。
コートに張り付き一瞬にして消える結晶に現実を見出してみても、悲鳴を上げはじめた心臓は平静を取り戻せない。

遠くに聞こえる列車の走る音が気に食わず、思い切り奥歯を噛む。
歪む視界の向こう側。冷たく湿った車内の隅で、隙間から溢れる僅かな光だけを頼りに座り込んだ子どもの影が怯えていた。
傷を負った腕の中で何度も抱きしめては、不規則な呼吸の動きを取りこぼさないように必死になって、何も出来ずに。
「クソッタレ……」
分かっている。こんなのはただの幻聴で、ただの悪夢だ。過ぎ去った時間に囚われるなんて、無駄でしかない。
乾いた喉から吐き出した弱音は、暗く静まり返った路地に姿を消す。
全て消えてしまえ。落ちた白が融け、コンクリートに黒く染みを作るのを見届けて、重たいつま先が無理矢理に地面を蹴りつけた。

爪の食い込んだ手の平が悲鳴を上げた。じりとした、痛みにも達しない痛みが、無意識に拳を握っていた事を気付かす。
色素の薄い皮膚は歪んだ三日月型をして、ぼんやりと血の色を見せている。生きている、この手で、はやく。
時計の短針は、とうにゼロを超えていた。昼間には賑やかだったリビングは静まり返り、フローリングを踏む足音がやたらに大きく響く。
立ち止まった個室の扉は、少年の自室に続くものでは無い。この先に求めている少女が眠っているのだと、無意識に慰めを期待していた。

冷え切ったドアノブに触れる事すら、今の一方通行には煩わしいものだ。全身に纏わり付く冷たい空気の不快さに、舌を打つ。
なんでもない体を取り繕うとしても、ぎこちない指先は誤魔化せない。
今立っている場所は本当に本物だろうか。唐突に嘘のように思えて、扉の向こうの景色を疑う。欲しいものが見つからなかったら、どうしたらいい。

抱きかかえた小さな体から少しずつ抜けていく力が、タイムリミットが近づいているのを知らせている。
お前なんかじゃ助けられないと、どこかの誰かが指をさし嘲笑していた。たった一つの命さえ満足に守れやしない。
消してしまうのはあんなにも簡単なのに、繋ぎ止めるには幾つもの障害があった。
取り上げるなと喚くだけで済むのなら、いくらだってそうしてやる。けれどそんな甘い餌など無くて、雪の中へ攫われてしまわないよう腕を伸ばす。
(違う)
それはもう、記憶の中の話。怯える必要の無い、過去の出来事。そう、分かっているはずなのに。
纏わり付く恐怖を否定して、無意味に叫びたがる喉を堪える。少年は瞼をきつく閉じて、悪夢を打ち消した。
暗闇に包まれた部屋の中、ベッドに眠る小さな体温を見つけ震える息を吐き出す。締め付ける痛みが引いていく。
寝息に合わせ上下する毛布に、指先の力が一気に抜けていくのが分かった。我ながら単純だと、皮肉めいた笑みが溢れる。

全ての、自分の鼓動の音さえも消して、ただ少女の音だけが欲しかった。
氷よりも冷たくなった手が、触れる事を躊躇する。平穏の中にいる少女をあの冬に引き戻すような気がしたのだ。
血色の良い頬にかかった細い髪を避けるのにも肌に触れないようにして、全く馬鹿げている。
いつまで魘されていたら気が済むのだろう。思い出す度に、生きた心地がしなくなる。何度も何度も『今』を確認し安堵しては、また繰り返していた。
眠る姿を視界に捉え、迫り来る白を塗りつぶす。背中を撫でる寒さを振り払い、額をそっと押し付けた。



この世界に、生きている。
こんなに近くに、この腕の届く距離に、いつだって抱きとめる事の出来る場所にいる。
「……打ち止め」
縋るような小さな声は、少女の心臓の奥へと融けた。























2012/12/03


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